
特約寄稿・蔡宗霖 驚きもなければ、サプライズもない。F組最終戦、日本とスウェーデンはともに手を緩めず、1-1で「手を携えて」決勝トーナメント進出を決めた。
1勝2分け、ヒヤヒヤしながらもグループを突破した先に立ちはだかるのは、星5つのブラジルである。「我々の目標は世界最高のチームになること。再びグループステージを突破できたことも成長の証。彼ら(ブラジル)はもちろん最強の相手だが、W杯では何が起こるか分からない。完全な準備をして臨む」と森保一監督は語った。
W杯開幕前、森保監督は優勝を宣言していた。これは日本代表が初めて優勝を掲げて臨む大会である。48チームに拡大された米加墨大会では、決勝までに5試合の決勝トーナメントを勝ち抜く必要がある。日本が最高成績のベスト8を更新するだけでも、2つの高い壁を越えねばならない。内田篤人や本田圭佑といった元選手たちも、日本がW杯で5試合目を戦ったことがない以上、極めて困難だと口を揃える。
優勝を目指すと宣言した以上、道中のあらゆる障害は避けられない。森保監督は準備万端だと主張する。「常に勝利を目指し、最善の準備をすることが基本原則だ。やるべきことは結局いつも同じだと思う」


試合前、F組の突破状況はほぼ明らかだった。前2試合で4ポイントのオランダと日本が主導権を握り、引き分けでも突破確定。実力あるスウェーデンが3ポイントで追い、明らかに力不足のチュニジアは早々に敗退が決まっていた。C組が前日に行われていたため、F組1位はモロッコ、2位はブラジルと対戦することが決まっていた。
森保ジャパンにとってはジレンマだった。チュニジアがオランダを止められないことは明白で、ブラジルを避けるためにグループ1位を狙うなら、スウェーデンに勝って得失点差を稼ぐ必要がある。しかし3日1試合の過密日程で主力の体力は保証できない。一方、控えを入れて2人のプレミアリーグFW擁するスウェーデンに臨めば、主力は回復できるが、グループ3位で突破しても世界王者クラスの相手が待っている。
最終戦の布陣をめぐり、現地記者を抱える日本のメディアは真っ二つに分かれた。『Soccer King』とGoal.com日本は、森保監督が会見で「絶対に引き分けを計算しない。初めから日本は勝ち点3を取る」と語った通り、フル主力を予想。一方『Soccer Digest』と『Qoly』は、鎌田大地や上田綺世ら主力を休ませるべく9人を入れ替えるとみていた。

だが先発が発表されると、森保監督は中間策を選んだ。突破と温存の両立である。チュニジア戦と比べ、この試合で森保監督は3人だけを入れ替え、主力ボランチの佐野海舟、ウイングバックの伊東純也、センターバックの冨安健洋を休ませ、瀬古歩夢、菅原由勢、前田大然を先発させた。
前半、中盤の核である鎌田大地と田中碧を残した日本は、北欧の大男たちの肉体派攻撃に対し、細かいパス回しで対応。試合開始56分、日本は前線で見事な連係を見せ、堂安律と上田綺世が中央で3度のパス交換で守備を崩し、前田大然が堂安のスルーパスに抜け出して先制。しかし数分後、アントニー・エランガが右サイドからカットインし、ペナルティエリア外から左足で同点弾を決めた。
お互いに一発ずつ浴びせ、全力を出さなければ勝てないと確認した後は、それぞれ後の試合に備えて手を引いた。こうして日本はグループ2位で決勝トーナメントに進出し、3大会連続でW杯決勝トーナメントに進んだアジア勢となった(現時点で唯一)。


日本とブラジルは地球の両端に位置するが、縁は少なくない。明治維新から第一次世界大戦前後にかけて、多くの日本人が南米に「出稼ぎ」に渡り、サンパウロには海外最大の日系人コミュニティがある。サッカー面では、第二次世界大戦後、日本の血を引くブラジル人、例えば吉村大志郎や与那城ジョージが日本サッカーの先駆者となり、ブラジル本来のボールコントロールとドリブル技術をまだプロ化されていなかった日本リーグにもたらした。
日本サッカーの精神的象徴として、「サンバ軍団」はかつて日本の少年たちにとって唯一の聖地だった。1982年、15歳だった三浦知良は最も純粋なサッカーを学ぶため、単身ブラジル行きの飛行機に乗った。サンパウロの下部組織では苦労したが、粘り強さでサントスなどブラジルの名門クラブとプロ契約を結び、後に帰国して日本サッカー職業化の金字塔の一つとなった。
もちろん、日本サッカーに最も影響を与えたブラジル人と言えばジーコを挙げざるを得ない。1991年、ジーコはキャリア晩年に当時まだアマチュアだった住友金属(後の鹿島アントラーズ)に加入。華麗な技術だけでなく、厳しい勝負哲学とプロフェッショナルな姿勢をもたらした。今も「ジーコイズム(献身、尊重、誠実)」は鹿島のクラブハウス入り口に刻まれ、彼は今なお鹿島の技術顧問を務める。2002年W杯後、ジーコは当然のように日本代表監督に就任し、2004年アジアカップ優勝、2006年ドイツW杯にも臨んだ。

断言できるのは、日本サッカーが誇る足元の技術の遺伝子は、まさにブラジルに由来するということだ。この師匠に対し、日本は学ぶ機会を決して逃さなかった。日本は過去14回ブラジルと対戦し、1勝2分け11敗。サンバ軍団は、AFC所属国を除けば日本が最も多く戦った相手である。
両者がW杯の舞台で戦ったのは20年前のドイツ大会。ロナウジーニョ、ロナウド、カカ、アドリアーノを擁する星5つのブラジルに対し、中田英寿や中村俊輔がいた日本も全くの格下で、1-4の惨敗だった。日本が唯一勝利しているのは、両者の直近の対戦、昨年10月に東京・味の素スタジアムで行われた親善試合で、南野拓実、中村敬斗、上田綺世のゴールで3-2と逆転勝ちした試合である。
しかし親善試合とW杯を同列に語れるはずがない。20年ぶりにW杯での再戦、しかも生き残りをかけた決勝トーナメント。紙面上の実力で優位なのは依然としてサンバ軍団だ。本田圭佑はNHKの解説で「さあ、相手はブラジル。選べない以上、受け入れるしかない。僕には残酷すぎるが、勝つ方法を考えなければいけない」と前評した。往年ほどの華やかさには欠ける現在のブラジル相手に、森保監督は奇跡を起こせるか?
